昔から三月という月は私には要注意の月と思っていたが、やはり今年も……
早速 誕生日の翌日交通事故にあう。(折角ゴールド免許を更新したばかりなのに)
一旦停止を無視してきた車が、前部を抉る様に激突してきたもので、幸い双方に人身被害はないが、ほんとにツキがない月のスタートを切った。
事故との因果関係は明確ではないが、以前より痛めている腰痛のリハビリに毎日通っているしだいである。
この日のバイオリズムを見ると、やはり身体と知性のリズムが低調期に入っていた。 やっぱり!
とはいえ‘暑さ寒さも彼岸まで’ 季節の移ろいに合わせ前向きに暮らさねばと思ってはいる。
(この慣用句の意味を転じて、「辛いこともいずれ時期が来れば去っていく」という意味の諺(ことわざ)として用いられることもある。)
昔 標本木となっていたらしい、平和公園で最初に咲く桜の木を見ると、蕾のなかに何輪か開花が見てとれた。(5〜6輪で気象庁「開花宣言」となるらしいが)

お隣では 折りしも恒例の「おおいた人とみどりのふれあいいち」が開催中である。


好天に恵まれた連休、ウォーキング仲間は「農業文化公園」あたりのコース設定で楽しんでいたようであるが、何分この様では2000歩以上のウォーキングには積極的に参加できず残念。
さいわいウクレレ教室の若者達のお誘いで、昨年も行った杵築゛牡蠣パーティー ゛に参加した。

そろそろシーズンも去りそうななか、多くの客で賑わっていた。
牡蠣焼きとカキフライに活車海老海鮮丼の選択、間違いはなかった。 マイウー!
スイーツというかデザートというか、別腹を満たすべく杵築市内への立ち寄りも昨年と同じ。
(男二人はそぞろ歩きの着物美人に会えることを期待しつつ)
“今年は多いなー ちょっと話しかけてみよー”などおじさん丸出しの私と、なんとなく物足りなさそうの女性達でありました。着物散策(レンタル料2400円)だんだん定着しつつある。
そもそも“お彼岸には‘おはぎ’でしょー”という意見から訪れた町、まずは和菓子屋に直行。

CMなどにも使われる゛酢屋の坂 ゛をあがり゛能見邸・台の茶屋 ゛でコーヒーブレーク。

‘ぼたもち’と‘おはぎ’の違いについて語り合う、なんという癒しのひと時でしょう。(正確に答える人がいなかった)
実は、おはぎとぼたもちは基本的に同じもので、違うのは食べる時期だけなのです。では、ぼたもちとおはぎをこう書くとどうでしょう?「牡丹餅」「お萩」。ぼたもちは、牡丹の季節、春のお彼岸に食べるものの事で、あずきの粒をその季節に咲く牡丹に見立てたものなのです。一方、おはぎは、萩の季節、秋のお彼岸に食べるものの事で、あずきの粒をその季節に咲く萩にに見立てたものなのです。では、何故牡丹の方にだけ餅が付いたのでしょうか? その由来は、「倭漢三才図会」に「牡丹餅および萩の花は形、色をもってこれを名づく」とあり、牡丹餅がぼたもちになり、萩を丁寧に言っておはぎになったというのが、最も一般的な説です。 以上 帰って調べたものです
ついでに ‘あんこ’の話
粒あんがぼたもちで、こしあんがおはぎ、と思っていらっしゃる方が多いのかもしれません。おはぎが高級っていうイメージからするとそう考えるのが普通かもしれません。しかし実は、違うのです。あんの材料である小豆の収穫時期に関係があったのです。 秋のお彼岸は、小豆の収穫期とほぼ同じで、とれたての柔らかい小豆をあんにすることができます。柔らかい皮も一緒につぶして使うので、つぶあんができます。 春のお彼岸は、冬を越した小豆を使うことになりますが、皮は固くなっています。当然固くなった皮をそのままに使っては食感が悪くなります。そこで皮を取り除いた小豆を使い、こしあんができます。よって春のぼたもちはこしあんで、秋のおはぎは粒あんだったのです。しかし、今では保存技術の発達や品種改良により、春でも皮のまま使うことができる小豆が登場してしまい、この理由は意味がなくなってしまったのです。このように、一年中こしあんだろうと粒あんだろうといただけるようになってしまった今の時代には、どっちがどっちと言ってもあまり意味がないのかもしれません。
こよなくウクレレを愛する面々、どこでもウクレレを離しません。

ウクレレといえばフラダンス。先日の発表会で初めて共演奏しました。

“ウーム 合唱のようには行かねーな”
とはいえ 4年やそこらでここまで持ってくる連中もいます。 の、演奏会に行くことにしています。

前回のブログ http://d.hatena.ne.jp/chichi7/20130326
家族+犬 全員三月生まれ(あと2人と1匹の誕生会が残っているが)
"悲喜こもごも"の三月を良い具合で乗り切りたい!!
