閑居六尺

~ あの日、あの時 ~

ちょいと一杯

痛風」との闘いで飲酒をセーブしているため、ここ数年は街で飲み歩くことがめっきり減った。
昔は、♪ちょいと一杯のつもり…♪で梯子週三 現在は年4〜5回程度か?

久々の飲み事で街を歩いていると、懐かしい店
何時もの様に素通りすればよかったのだが、つい
“和ちゃん元気ー”“あんたどげーしょったン”

3年近く寄ったことなかった店だが、何年空けてもここだけは身内扱いをしてくれる。嬉しいもんだ
40年前 学校を出てすぐ帰郷、就職、飲み始めの店にこの「和ちゃん」が働いていた。 
どうでもいい話ではあるが。最初に惚れ込んだ女の子にもこの店で出会い、すったもんだ問題をおこした。すべて「和ちゃん」に収めてもらった恩人でもある。


     大分別府レトロ地図より
たしか現在の「三清駐車場」(料亭三清跡地)の前の旅館街辺りの、薄暗い通りに面した昼喫茶店・夜バーのような店だったと思う。(付近は客引きで賑う現状と違い、飲み屋も数件しかない時代で、ピラニアの水槽などもあったので思い出す方もいるかも知れない)その後 別のビルにもう1店作った。この店は大分でも指折りの美人ママ(私の独断と偏見かもしれない)ということで一世を風靡したが、進出企業群があまり使わなくなった現在は、ぼちぼちやっているように「和ちゃん」は言っていた。
律儀な「和ちゃん」はこのママに気を使い、全く客層の違う焼き鳥屋を始めて20年程になる。
なんとかやってきているのも彼女の人柄のせいだろう。

昔私が忘れて帰った営業用のポスターがいまだに天井に張られていた。
この頃「本物志向」をキャッチフレーズに、CMに加山雄三を起用していた時代のもので、懐かしかったが、その上に常連の医科大生達が自分らにしか解らないような落書きをしていた。

当時私が ‘天井の高い家は大物が育つ’というセールストークをしていたのを憶えていて、勝手に落書きさせて、このポスターを天井に貼ったと、この日初めて聞かされた。訳の解らない様な話であるが、彼女らしい行為ではある。(20年近く前のことなので時効、彼らが立派なドクターになっていることを祈る。)


彼女との付き合いの40年間、歳も同じ、お互いの人生をまざまざと見てきている。
私もいろいろあったが、彼女も新産都景気に沸いた都町の黄金期から、現在の‘焼き鳥屋のおばちゃん’に至る激動の半生時代を過して来た。

“まあー お互い先に逝った方に線香の一本でもあげよーや”(合言葉)
3年ほど前、やはり同い年のママがガンで亡くなった。行きつけの店がまたひとつ減った。残念であるとともに、明日は我が身とも言える


ちょっと飲み過ぎ 痛風が出てこなければいいが! (勝手なことを言ってます)