閑居六尺

これは雑記です。 Since 2008.4~ 大分県大分市在住

汗かき べそかき 歩こうよ

JRウォーク「日本一美しい風連鍾乳洞と吉四六さんの歴史探訪」

都会的なシーンとなった6番線への上り口、豊肥線-大分駅発8:31は既に高架になったホームからである。

今回はMさんとHさんと私の3人となった。田園風景を眺めながら、他愛のない話のローカル線旅も楽しいものだ。

ウォーキングスタートは犬飼駅、俄作りの顔出しパネルも今日に備えている。折角の駅員手作りの労作もあまり利用されていないようだ 急ぎシャトルバスへ

野津という町は、国道沿いではあるがJRやバス路線利用者にとってはアクセスがあまりよくない。昨年はMさんの車で臼杵駅迎えで参加したが、今年はJRウォークの方にしたので、犬飼駅からの無料シャトルバスが利用できた。

三百六十五歩のマーチ」は、先般逝去された 作詞家 星野哲朗 のヒット曲。1969年水前寺清子で「日本レコード大賞・大衆賞」を受賞した。口ずさむと‘自然に元気が出てくる’国民的とも言えるマーチ曲である。
この一節に ♪人生は ワン・ツー・パンチ 汗かき べそかき 歩こうよ〜♪ というとこがあるが、ウォーキングでは何時もこのフレーズを思う。いい年してべそはかかないが、汗はよくかくので同行者に何時も見つけられ、‘肥満の汗かき’を思い知らされる。
「風連鍾乳洞」から「普賢寺」まで国道10号線を延々と歩くコース設定となってるが、それにしても この単調な沿道コースは気に入らない、来年もし来ることになれば別コースにしょう。
※「吉四六さんウォーク」(臼杵市一村一文化推進委員会主催)毎年11月23日勤労感謝の日開催。豚汁・「吉四六話」付。参加料300円、約9.5km


鍾乳洞内がけっこう蒸し暑く既に汗だく、見かねて“もうTシャツになったほうがいいよ”とHさん
追い抜かれる元お嬢さん達の視線に“皆さん汗かかないのー”などと紛らわしながら黙々と歩く。(今日は3㎏の減量期待!!)


風連鍾乳洞
臼杵市野津町泊にある国指定の天然記念物。大正15年地元青年団により発見された。洞長500mで閉鎖型のため外気からの侵入が少なく、風化作用が無かったため光沢や均整といった面で美しく残されているのが特色である。



大将軍神社境内にて


普賢寺
臨済妙心寺派。永仁二年(1294)、大友親秀の男因幡守親直公(野津五郎頼宗)が金像の普賢菩薩霊夢により当寺を建立。覚禅師を請じて開山とし、普賢の音通に従い普賢寺と号す。大友島津の乱により一時荒廃するが、正保四年(1647)現在地に復興し月桂寺四世大安和尚を再興開山とする。(普現寺攻史、大友興廃記による)
吉四六さんの菩提寺でもあり、境内には約200本ものもみじがあり、紅葉シーズンには赤と黄色のじゅうたんにつつまれる。この時期 夜はライトアップされ幻想的な雰囲気を作り上げ多くの観光客の目を楽しませてる。



田吉右衛門(吉四六さん)
吉四六さん」は実在した人物で、本名を廣田吉右衛門と言います。廣田家は、代々小庄屋を務め苗字帯刀を許された由緒ある家柄でした。 江戸時代初期に、現在の 野津町野津市 で生まれ 88 歳で亡くなったといわれていますが、廣田吉右衛門の名は代々世襲されており実に 11 代まで続いています。とんち・奇才で有名な「吉四六さん」は初代廣田吉右衛門(1628年〜1715年)がモデルと言われています。


     

古くからそのとんち物語が語りつがれ今なお人気のすたれることを知らない「吉四六さん」は、その当時から年貢のとりたてに苦しむ庶民の味方になったり、つらく厳しい時代であっても、庶民の相談役となり持ち前のとんち・奇才で人々の難儀を救ったと言われている。


菅さーん
吉四六さんの知恵を借りてみませんかー!!